「面白い」センサー(『翼の王国』11月号へ寄稿)

2017/11/09未分類


「うおー、すげー!」
内容は何でも良い、とにかく「面白い」とか「楽しい」という感情をできる限り大きな方向に振り切れる選択をしていく。
教育方針というものをあまり意識したことはないが、強いて言えばそういう暗黙の了解が夫婦間に自然と形成されているように思う。
都内から海沿いに引っ越してきたのも、保育参観で見た子どもたちが少し退屈しているように見えたからだし、小学1年生になった長男が「今日は学校に行きたくない」と言えばオフィスに連れて行くことだって珍しいことではない。
とにかく日常の中に少しでも多くの「面白い」が散りばめられていれば、自ずとその先の素晴らしい未来は切り開ける、そう信じている私たちにとって今夏の沖縄旅行は必然でもあり、そして実り多きものとなった。
元々は仕事の関係で、いわば出張として行く予定が先立っていたのだが、以前から長男が、それにつられて3歳の次男も「ジンベイザメを見たい」と話していたことが頭をよぎり、よしではこの機会に見に行こう!という流れとなった。(自宅から30分ほどの八景島シーパラダイスにもジンベイザメがいたのだが、昨年死んでしまったようだ)
3泊ほどの旅程の中で唯一最大のターゲットであるジンベイザメ@美ら海水族館は最終日にセット。もちろん、これをエサに道中いろいろと言うことをきかせようという親の打算である。
今回は本島だけでなく、宮古島、石垣島、そして西表島と多くの島をせわしなく巡ってきたのだが、どの島でも「ぅおー、すげー!」な出来事と随所で出会うことができ、親子ともに大満足であった。
もちろん雄大に泳ぐジンベイザメは飽きるほど見てきたし、美ら海水族館で印象に残ったのは何かと質問すると、意外にもジンベイザメではなく発光する深海魚だったというのも嬉しい誤算だ。
西表島で運良く出会ったヤシガニも驚くべき形と大きさで印象に残ったが、中でも一番嬉しかったのは宮古島の透き通るような海で飽きることなくシュノーケリングしながら魚を追い求め続けていた子どもの姿だ。
そうそう、そういうことだよ。最高の今を追求すれば自ずと明るい未来に地続きで繋がっていくのだよ。
朝起きてから寝る直前まで遊ぶことだけ考えている子どもにとっては釈迦に説法かもしれないが、今回の旅を通じて彼らの「面白い」センサーがより敏感に、より広範に機能してくれるようになったようであれば嬉しいことこの上ない。

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『Shoe Dog 靴にすべてを』が面白かった。

2017/11/05未分類


先日、NIKE創業者フィル・ナイトの著書『Shoe Dog 靴にすべてを』を読んだ。前評判通りとてもエキサイティングで面白く、最近読んだ本の中で最も「読み進めるのが惜しい」一冊であった。誰に頼まれたわけでもないけど印象に残ったポイントを3点挙げてみる。

1.タイトルにも出てくるほど、やっぱり「靴」への思い入れが半端じゃないという点。今でこそスポーツに関する網羅的なプロダクトを生産販売しているNIKEだけれど、少なくとも創業者の靴への思い入れは尋常じゃないということがよく分かった。多分人生における脳みそ全CPU使用量の40%くらいが靴、30%くらいが資金繰り、衣食住とかは残り30%くらいなのではないか。
トヨタの織機やブリヂストンの足袋のように、別に必ずしも創業時の事業を死守する必要などないし時代に合わせて変えていかなくてはならないが、創業事業のストーリーをしっかり語り継ぐこと、その歴史(社史)を伝えることはやっぱり大事。

2.後半でフィル・ナイトは、事業を行う究極の目標は「勝利」であると書いていた。なるほどシンプル故に普遍的だし、NIKEのイメージにもぴったり合う。(ちなみに最近だとRIZAPの「自己投資産業で世界No.1を目指す」というのは結構分かりやすくて求心力あると思ってます)
やっぱり創業者の究極的に大事にするものは滲み出るし、いつまで経っても大事だなと再確認したので、僕は究極的には楽しさを追い求めていきたいし、それをもっと皆に要求しようと改めて思った。

3.本書では主に創業時から、創業15年以内くらいのドタバタが描かれている。ほんともう、ドタバタ。会社を創業して10年前後の人は色んな意味で参考になるはずだし、何かしら感じるものがあるはず。

というわけでオススメ!→ 『Shoe Dog 靴にすべてを』

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300万倍の効率アップをもたらす複利パワー。

2017/10/12未分類


よく言われることだけれど複利のパワーは凄まじいです。
3%複利だと20年で1.8倍、5%だと10年で1.6倍、20年だと2.6倍、30年で4.3倍。
(ちなみに複利の計算で「金利(%)×お金が倍になるまでの年数(年)=72」という72の法則というものがあって、覚えておくと便利です。)
そしてこれ、企業価値や生産性向上にも全く同じことが言えるなとふと先日思いました。
企業価値や生産性を1%向上させる何かしらのアイデアを年に3つ、一人の社員が考案すると1.01の3乗で1.030301つまり3%アップになります。
これを社員50人で行って各アイデアが全体の1%に影響をもたらすとしたら、更にその50乗で4.448422・・・つまり約4.4倍の企業価値・生産性アップ。
更にこれを10年続けたら(=10乗)値は300万を超えてきます。
何が言いたいかというと、皆さんが「ちょっとしたことだから」と提案していないその気づきやアイデアも、皆が躊躇せず発信して改善し続けると、まさにチリツモ、とてつもない変化を中長期的にもたらすのだということです。
と、ここに書いたようなことを、規模が拡大しても全体的に、何となく共有・維持できていけると(それを文化と呼ぶのか?!)良いのかもしれません。
多分これはビジネスの現場のみならず、(猛烈に練習・研究するのは前提で、その上で)練習・研究方法そのものを常に改善し続けるアスリートや研究者とかにも通ずる話なのではないかと思います。
※社内向けエッセイからの転載なので文中の「皆さん」=「社員」です。

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Yesマンの時代。

2017/09/25未分類


石原慎太郎さんと盛田昭夫さん共著の『Noと言える日本人』、
多くの提案にNoを突きつけiPhoneを生み出したスティーブ・ジョブズ、、、

何となく自分の強力なビジョン実現のためにNoを突きつけるのはカッコ良くて必要なことだと思われている気がするし、実際に普通に生活したり仕事している上ではNoを言わなくちゃいけない場面もたくさんある。
だがYesマンも振り切ればかなり価値がある、むしろ時代はYesマンの存在を後押ししているのではないか、最近そんな風に思うことがよくあるので、その理由を少し書いてみようと思う。

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冒頭からいきなり自分を肯定しているようで恥ずかしいのだが、僕は普段、3つの言葉しか発しない。

「オッケー」
「良いじゃん」
「そうだね」

これだけだ。会話の70%はこの3フレーズで構成されている。
もはやアホであるが、これはいわゆる世に言うところのーと同時に揶揄する言葉でもあるーYesマンで、基本的に全てのことに対してYesと答えている。(と思う)

性格によるものなので仕方ないのだが、いやはや本当にそれで良いのか、なんていう心配も3%くらいは常に頭の中を行ったり来たりしていた。
実際に50人ほどの会社の組織長としてあらゆることにYesと言えば矛盾が生じることもあるし、親としてもできるだけ多くのことにYesを言うのはそれなりに勇気のいることだったりもする。

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そんな中、デンマークの建築家ビャルケ・インゲルスが”Yes is more”をスローガンに掲げ活動していることを知り、自分と同じではないか!!!と心躍ったわけである。

ビャルケ・インゲルスと言えばグラウンド・ゼロの再開発やGoogle新社屋の設計などを担当する、今の建築の世界をリードするスーパースターだ。
https://wired.jp/special/2016/bigdeal/

建築の世界ではミース・ファン・デル・ローエの”Less is more”という考え方が長い間支配的で、シンプリシティとかミニマリズム的考え方もその流れを汲んでいるのではと浅学ながら推測するのだが、恐らくそれを踏まえての”Yes is more”である。痺れますね。

これは「世界のトップスターが言ってるんだから俺の提案だって正しいんだ」という、権威にすがる一番カッコ悪いタイプの主張だが、一応自分なりの”Yes is more”の理屈もある。

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“Yes is more”の結果が良い形で反映されているのがソウ・エクスペリエンスの働き方ではないかと思っている。

「子連れで働けますか」
「副業してもいいですか」
「時短でもいいですか」
「午前だけでもいいですか」
「オフィス来なくてもいいですか」
「国籍ないけどいいですか」

これらの全てにYesと言い続けた結果、個別に見ればワガママと切り捨てられがちのようなことも、全体として見ると絶妙なバランスを保ち組織として継続的に運営されていて、今50人前後だが、より少ないメンバーだった頃より今の方がワガママの方向性が程よく分散してバランスが取りやすくなっている気もする。

元はと言えば子連れは社員が10人に満たない頃「子連れでも良いからもし嫌じゃなければ今後も働いて」というお願いに近いものだし、副業も給与水準が著しく低い頃の苦肉の策だったりしたけれど、経緯はどうあれ続けていると思わぬ結果や価値観を生むから不思議なものだ。

ん?と思うことにYesを言うのは最初は少し躊躇するが、Yesを言い続けるとその様子を見た周囲の人たちが「あいつに言えばYesが返ってくるぞ」ということで方々から色んな声がかかったり要望が寄せられるようになる。
そういう提案やニーズの中に意外と良いアイデアが隠れていたりするもの、ではないだろうか。

(ちなみに蛇足だが、働き方は”Yes is more”の結果でだいぶ面白くなってきたので、今後はしっかり稼いで投資余力を拡大して、事業も”Yes is more”で著しく成長させるのが今の僕の最大の興味関心ごとだ。)

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少し話が変わるが、先日、日経BizGateに出ていた伊藤穰一さんの最近のインタビュー映像を見ていて、その中でJOIこと伊藤穰一さんは、ノーベル賞の半分以上は研究していた主目的に至る過程の副産物として生まれたものだということを話していた。
実は今や世界的に広く使われているバイアグラも狭心症の薬を作る過程で生まれた副産物だということを最近知ったが、これも想定とは違う実験結果を単に間違いとして切り捨てるのではなく肯定の目で見る”Yes is more”的産物なのではないかと、これらの話を聞いて感じた。

ビジネスの世界でも最近は、著名な起業家すら「事業計画書など不要だ」と言い始める人が出てきていて、それは今ほど多様でスピーディな世の中においては計画を作る間にすら状況は変わっていくし、計画に固執することでその周辺に偶発的に起きているチャンスを捉えられない(そしてそのチャンスこそが爆発的に大きなチャンスだったりする)リスクが大きくなってきていることを指摘しているのではないだろうか。

そういえばアダム・スミスが資本主義を表した「神の見えざる手」も、要するに「You、思うがままにやっちゃいなよ(そうすればあなたがうまくいくかどうかは知らないけど社会全体としてはあなたのような人が無数にいるから結果的に伸びるよ)」ということに他ならないわけで、だとすると300〜400年前と言っていることはあまり変わっていないわけか。。

とはいえありとあらゆる場面でNoが蔓がちな現代社会に、素麺ほどの細さでも良い、一筋の光として皆さんの考え方や行動の参考になることを願いつつ投稿。

“Yes is more”

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良いなーパパは、オフィス行けて。

2017/09/13未分類


「良いなーパパは、オフィス行けて。」

このフレーズ、最近小学校に行きたくない病を発症している1年生の長男が僕に放ったフレーズである。
いや、君がオフィス来る時パパは結構ご機嫌に過ごしているかもしれないが、会社やっているとそれなりに大変なこともあるし、毎日東京まで通うのはそれなりに大変、、、、なんて言っても無駄なことに気づき、出てきた言葉は「(当然学校を休んだ上で)じゃぁ来週か再来週にまた一緒に行くか」だった。

だって、日頃から親は(夏の間は)半袖半パンで仕事に行き、オフィスに一緒に行ったら何とも楽しそうな雰囲気、仕事仲間も友達みたいでたまに一緒に遊ぶ。これらが常態化しているので、多分子どもの目には毎日遊んでいるようにしか見ていないか、または仕事はきっとむちゃくちゃ楽しいものなのだと捉えているのだろう。

が故の、冒頭のフレーズであろうと思う。

基本的な考えとして、僕は、子どもは常に自分たちよりも20〜30年ほど新しい環境を所与のものとして生まれ育った、ヘタなロボットなんかよりもよっぽど世界最先端の産物だと認識している。いつだって子どもが最先端であり、それに比べれば大人は常に古い人、もちろん36歳の僕も御多分に洩れず古い価値観にまみれた古い人であり、子どもが触れたいもの面白いと思うものは全て最先端の感性なのだから余計な口はできる限り挟まないしYesと言ってあげたい。そう、切に願っている。要するに、

「邪魔をしない」

子どもを応援したいと切に願うなら、これこそが唯一の根本的な方法ではなかろうか。

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少し話がそれるが、僕は親にひとつだけ不満を抱いていることがある。基本的には子どもの頃から何でも自由にやらせてくれたことをとても感謝しているのだが、ゲームや漫画など親の感覚で非道扱いされたものにあまり触れさせてくれなかったことだ。もし触れていたところで僕が著名クリエイターになっていた可能性はゼロに近いと思うが、ある種の可能性を狭められたことは間違いない。(今でも同世代との会話についていけないことは多々ある。全く気にしていないが^^)

こういう反面教師があるが故の「邪魔をしない」ポリシーなので、それこそマリオだって興味を示したので1200円課金したし(人生初のゲーム課金は多少緊張した)、Youtubeなども時間の制限は設けつつも許容している。(4年前に逗子葉山に引っ越して日常的に海など自然に触れていることも、この行動を後押ししてくれていることは間違いない)
これだけでなく、レゴランドに行きたいと言えば行くし、ジンベイザメが見たいと言ったのでこの間沖縄まで見に行ったし、今はマグロを釣ってみたいと言うので(まさか彼は船酔いの存在は知らないだろうが)近々葉山港から1時間くらいのキハダ釣りにチャレンジしようと思っている。もう、生活のベースがさんまと玉緒の夢叶えたろか状態。

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そんな長男が最近よく「学校に行きたくない」と口にする。
担任の先生のことは大好きで、友だちも仲良く、勉強も嫌いということはなさそう。けれどもどうも違和感を抱いているようで、先ほどの「邪魔をしない」ポリシーに沿って考えると看過できないなと感じている。
とは言え実際問題、今いきなり学校を辞めたところで日中の楽しい過ごし方の代替策がないので今すぐ辞めることはないだろうし、そうこうしているうちに辞めたいと言わなくなるかもしれないが、それはそれで順応してしまうことが幸か不幸か分からないなー、となかなか複雑な気持ちだというのが正直なところだ。

普通なら「学校行ってきちんと勉強して友だちも作らないといつか辛い思いするから行きなさい」とでも言うのだろうが、僕はどちらかと言うと読み書き算数さえできれば何とでもなるだろうと思っているし、その上で興味関心の赴くままに流れていけば楽しい人生になるだろうと思うし、それに冒頭のような「良いなーパパは、オフィス行けて。」という視線を向けられると、「いや、それでも君は学校に行った方が良いよ」と提案できるだけの論拠を全く持ち合わせていなことに気づかされる。つまり、なかなか悩ましい笑

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最近、『権力の終焉』という本を読んでいて、政治やビジネス、軍隊や宗教やアカデミズムなどあらゆる現場で権力がその力を失いつつあり、その原因は物質的豊かさ(More革命)、移動手段の進化・多様化(Mobiliy革命)、期待や願望の高まり(Mentality革命)の3つのM革命によるものだという主張がなされていたのだが、僕はこの本を読みながら、そういえば政治やビジネスだけでなく親の権力というのも終焉を迎えつつあるのではないかと感じていた。
親の権力というと少し言い過ぎで違和感があるかもしれないが、親が子どもに対してドヤ顔して何かを主張できる範囲というのは、これまでより格段に狭まっているように感じているのは僕だけだろうか。
少なくとも僕は、きちんとした格好をして毎日オフィスに行っているわけでもないし、子どもの興味に突き動かされてどこかに出かけることも多いし(結果的に楽しい思いをして僕が他者にドヤ顔することも珍しいことではない)、彼らから日々学ばされることばかりだ。

というか彼らに追いついて行くのがやっとで、必死で自由を追い求めているのだけれど、結果的には自由にやる親と学校というシステムの狭間で子どもは面食らい悶々としている、ということなのだろう。分かる、よく分かるよ息子よ。

別に自分のやり方を礼賛するつもりもないし、学校を批判しようとも全く思わない。むしろ学校というシステムは素晴らしいと思うし新しくなる学習指導要領なども結構期待している。
だが、世界最先端を突き進む子どもが何か違和感を感じて当惑しているというのも、これまた事実なのだ。

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何となく書き始めたこの文章、特に主張とか結論というものがないのだが、日々短パン半袖で過ごす人やオフィスに行かない人は増えているだろうし(そこのあなた!)、働くことへの価値観が変わりつつある中で、似たような状況に出くわす人や、近い思いを抱く人は少なくないのではないかと思い、まぁみんな似たようなこと考えてるから大丈夫だぜ!ということをお伝えしたく、つらつらと書いてみた次第。ではまた!

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学級運営って何さ。

2017/07/01未分類


先日、中学校1年生の担任をしている友人から、担任としての自分に最も求められているのは「学級運営」だと聞かされた。一瞬その言葉の意味が分からなかったので聞いてみると、要するにいじめや不登校などの問題の早期発見や解決のことを指すようなのだが、それが最重要視されていることに驚いた。
たった一つの事例だし、それ以外の実態を詳しく知っているわけではないので認識に齟齬があればご指摘いただきたいのだが、やはり当たり前のことだが僕が教育に期待するのは「子そして個の興味関心を引き出し、隙あらば伸ばすこと」だったので、学級運営第一だと聞かされた時にはそれなりに衝撃を受けた。授業や学校活動を通じてそのチャンスを伺っているのが(各クラスの生徒と一番多く接するであろう)担任に求められていることと思い込んでいたし、むしろ授業や学校活動は興味関心の糸口を見つけるための手段、、、とすら思っていた。

ちょうど今朝、将棋界のプリンス藤井四段が学校に行かず将棋に専念したいと話しているというニュースを見かけたが、藤井さんに限らず今の時代を生きる多くの人にとって学校というのはどれほど必要不可欠なものなのだろうか。全ての人に教育を受けられる権利があるのは素晴らしいことだしそれは憲法で保障されているわけだが、同じく憲法で規定されている、子どもに教育を受けさせなくてはならないという大人に対して課された義務が義務教育と呼ばれ、その言葉のインパクト故に本来の学校の必要性や意味以上の意味を内包してしまっているように思う。

今、とある公設民営の学校設立プロジェクトに携わっていて、それ故に上記のような問題に敏感というのもあるのだが、この学校は発達障害の子どもたちを受け入れる学校になる予定で、従来の学校以外にも選択肢が増えることは単純に素晴らしいことだと思うし、救われる子どもや親は多いはずだ。就職活動というものに対して未だに個人的には違和感しか感じないが、でも学生が自由に選べるのは素晴らしいことだし、職業選択などできなかった時代や国から比べると遥かにマシだ。

結論のない普遍的なテーマをうだうだ喋るのは好きじゃないので、ここで最近読んだ本で数学者・理論物理学者のフリーマン・ダイソンが述べていたことを引用して終わりにしたい。そういえば先日我が家の長男も1週間だけ学校に行きたくないと言う期間があって、その後すぐ事なきを得たのだが、教育や学習についてはあまり深く考えず子どもの発する「すげー!」「面白い!」回数の最大化だけをKPIに淡々とやっていく所存である。

「博物館の方が学校よりずっと役に立つと、常々言ってきました。私自身とても幸いなことに、ロンドンの博物館を歩き回ることで、その当時持っていた知識のほとんどを得ていました。アメリカにも優れた博物館がいくつかあって、私の孫たちが育ったオレゴン州では「サイエンス・ワークス」という素晴らしい科学博物館がありました。孫たちは、そこで楽しんで時間を過ごし、学校の教室で学ぶよりもはるかに多くのことを学びました。おそらくこれは、どの時代でも言えることではないでしょうか。残念ながら学校は、学ぶことよりも、生徒たちの子守をすることや、教室内で彼らを静かにさせることに、あまりにも多くの時間を費やしてしまっています。『人類の未来』NHK出版新書」

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働き方改革の自分なりの解釈。

2017/05/09未分類


究極的に便利で心地良い生活や暮らしの状態が100として、今の世の中、例えば日本の豊かな都市東京では平均値80くらいまで到達しているとしよう。
その暮らしを83に引き上げるために、せっかく80にまでなっている数値を40とか50にまで落としてしまうような仕事は全部やめちまおうよ。
働き方改革はとても良い流れだと思うが、言わんとしてることはこういうことだと思う。
それは別視点から見たら休み方改革であり、生き方改革であり、そして「顧客第一主義」や「株主第一主義」から顧客も社員も株主も等しく大事という「多極主義」へのシフトでもある。
主役は個人。個人が個人として働ければそれで良いし、大きなチームを組んで会社になればもっと大きなことが成し遂げられる。でもやっぱり主役は個人で、個人として輝き続けられない状態が続く、または放置される組織は解散した方が良いし多分長続きしない。
とは言えこれは理想論で、ソウ・エクスペリエンスだって課題山積、少なからずのスタッフの犠牲の上に成り立っているのが現状。本来なら即解散だが理由がある程度分かっていて見通しもつけられるので何とかバランスを取ろうともがいている。言い訳でもあるが数ヶ月か半年もすれば辻褄を合わせられる自信があるから続けている。と思ってバランス取りかけた時に多分また崩れるのだろうし、それくらいの勢いを保ちたいが、そういう循環の中で事業を伸ばし、そして比較的全員の全体効用を高める選択を常にしていきたい。
そういえば6年前に「個人のエンパワーメント」と題したブログを書いていたことを思い出したが、この流れが加速してきていることを感じる。
これから5年10年でこの国はどこまで変われるか、変えられるのか、ほんとに見ものです。

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最近の3つの出来事と、その発生原理

2017/05/07未分類


重力波の凄さを全く理解できなかったことに端を発した物理の勉強は今も続いている。スノーボール・アースは引き続き読んでいるが、今はNHKのサイエンス番組「コズミック・フロント」が書籍化された『宇宙はなぜこのような形なのか』も併読中。これもなかなかオススメできる。
友人に6月上旬にゴルフ場を予約され、突如練習を始めてる。(監査役の大先輩にクラブ一式を拝借しつつ)幸いオフィスすぐ横に練習場があるので助かるが、さて10年ぶり二度目のラウンドは果たしてどうなるか。(サーフィンも忘れてはいないし、カヤックももう少し練習したい)
家族が自宅の近所で見つけたFree Little Libraryをうちでも作って設置する、GWに!と言い始め、作っている。設計図と資材調達は妻任せになってしまったが作業は僕。まだドアができただけだがビール片手に木工作業、楽しいではないか。
ちなみにこの3つは全部、外部・他者からもたらされる形で行動が生まれるという構造をとっていて、世の中のほぼ全ての行動は同じように外部・他者からの働きかけを伴う。同様に他者へ働きかけて行動を促すということも当然あって、いずれも普遍的な「行動の起こり方」だ。体験ギフトも全く同様の構造を内包していて、それが選択されるのはごく稀な機会に過ぎないが、元来普遍的なコミュニケーションのあり方、行動の発生原理の上澄み液を商品化したようなものなので、世の中にあって然るべきの当たり前のものだと心底思い込んでいる。(ちなみに5/14は母の日です!!)

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なぜ自由を追い求めるのか。

2017/03/18未分類


自由大学講義の集客が想定を下回るという報告と同時に、「なぜ西村さん自信が自由を追い求めているのか?が書かれているともっと感情移入しやすいのだと思います」との助言をいただいたので、以下少し駄文だが思うことを書いてみようと思う。
僕は自由とは直感に従うこと、できる限り直感に従える環境下に自分の身を置くことだと捉えている。そして、できる限り多くを自分の直感に判断させ、その後に知識や論理で補っていくという物事の進め方が生きていく上でとても有利ではないかと思うので、直感に従うことつまり自由であることを人一倍大事にしている。なので講義ではあーだこーだ色々言うけれど、結局のところ「直感に従おうぜ、直感に従うことに自信もとうぜ、直感を正当化できるための武器を身につけようぜ」というこを伝えたい。
自分自身を振り返ると、2004-5年にかけて就職よりも起業を選び体験ギフトを企画販売し始めたこと、5-6年前から子どもをオフィスに連れてくるようになったこと、4年前に世田谷から逗子に引っ越したこと、2-3年前からアフリカに興味を抱き通い始めたこと、そして今週からはオフィスの自分のパソコン(そしてデスクも)をなくし1日の過ごし方を変えてみたこと、どれも「何となくそうすると良い気がする」と感じたことを思い切ってエイヤッ!とやってみたわけだが、それが大事な局面である時ほど選択の正しさは事後的に確かな手応えとして戻ってくる。直感に従えば従うほど、それは事後的に極めて論理的であることが分かったり辻褄が合ってきたり、、、ということが多いように思う。
でもこれは当然でもあって、僕は今35歳で、当たり前のことだが僕は世界中の全ての36歳以上の人間よりも若く、36歳の方々より1年新しい社会に生まれ、1年未来を見て育ってきた。同じ社会を見ていても、それを1歳の時に見るか2歳で見るか、高校3年生で迎えるか大学1年生で迎えるかは無視できない差を生むだろうし、そう考えると僕は36歳以上の全世界の人々よりも若く、彼らよりも少なくとも1年以上未来の空気を吸って生きてきたわけだ。そしてそれ故に、そんな未来人間である自分が直感的に下す判断は未来的であるに違いないし、全世界の全ての36歳以上の方々の感性に勝ると思うのだ。ただしそこに、権威や保証、家族や親戚からの余計な刷り込みからできる限り解き放たれていれば、、、、という条件が付くのだが。中には直感を妨げる多くの雑音に囚われてしまった35歳”以下”の人もいるはずなので、そう考えると、たとえ35歳でも直感全開で突き進めば全世界の30代以上の中でもかなり未来を先取りした提案や選択をしていけるのではないか、という気もする。(逆に言うと20代以下の方々や年齢一桁の自分の子どもたちを見ていると思うのだが、彼らは未来過ぎて歯が立たない。彼らと伍し、立ち向かっていくためには、彼らがまだ持ち合わせていない何かを携えてなくてはといつも思う)
ピカソの「子供たちのように描けるようになるには一生かかった」という言葉が昔から好きなのだが、若さや幼さ無邪気さはそれだけで大きな価値であり、年齢に限らずその純粋無垢なる感性に従って動いてみることが最も確かで身の丈にあった未来をもたらす可能性が高いし、その行為そのものが自由を意味するのではないかなと思う。
そこで講義では「あなたは何に興味がある?何が面白いと思う?それはなぜ?」というやり取りを僕からも皆さん同士でも、まるで呼吸のごとく当たり前にしつつ、それらをより良い形に持っていける武器も与えられるよう組み立てていきたい。
何だか回りくどいことを書いてしまったが、さてこれが皆さんの心に響くか、どうか!

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働きやすい、は「優しさゆえ」ではなく「厳しさゆえ」

2017/01/11未分類


有難いことに最近は、体験ギフトという商品だけでなく「働きやすい会社」とか「従業員に優しい会社」といったテーマで各所で取り上げていただく機会が増え、認知度向上や採用活動円滑化の一助となっている。

例えば副業や子連れ出勤などの話をすると、影響力のある大企業が導入してくれれば一気に広まりますよねというリアクションをされることが多く、その場では相槌を打ったりもするのだが実のところあまりそういう期待はしていない。
もちろん大企業が改革に踏み切ればその影響力が大きいのは事実だが、大企業が今までのやり方を変えるコストも、これまた計り知れないのでトントン拍子で話が進むとは考えづらいからだ。
むしろ働きやすさの理由とされる「柔軟な働き方」で利するのは中小企業やベンチャー企業だし、それならば導入コスト(ほとんどは社内メンバーの理解を得るための工数や時間的コストではないか)も安く済むのではないかと個人的には思う。

というのは、柔軟な働き方というのが「(従業員への)優しさゆえ」のものだと捉えると、「そんな余裕があるのは大企業だけだ」というツッコミが入りがちだが、実際のところ「優しさゆえ」というよりは「厳しさゆえ」であり、働き方に柔軟性があれば厳しい冬の時期を乗り越えて春を迎えられる可能性が高まると思うからだ。つまり副業や子連れ出勤のような柔軟な働き方は中小企業やベンチャー企業をエンパワーするものではないかと僕は捉えている。

想像に難くないと思うが、中小企業やベンチャー企業は知名度もなくお金もないため、雇用市場においてあまり人気はない。そんな中でも良い人と出会い働いていただかなくては夢見る未来を具現化できない、それどころか今日明日を乗り切ることだってできない。そこで柔軟な働き方の出番となる。

良い人を雇うほどの給料を出せない?
ならば、副業してくれても良しとしてあげよう、場合・職種によっては週2-3日の出勤だって大いに戦力になったりしないだろうか?

社員に子どもができて職場を離れてしまうが新たに採用・育成する体力がない?
ならば「子連れで来てもいいよ」と言ってみてはどうだろう。(実際に僕らはそれでスタートした)または求人媒体に出向する余力がなくても、自社サイトで求人情報を掲載し、小さく「子連れも可」と書いてみてはどうだろう。待機児童=待機ママなので、全国4.5万人と言われる待機児童の親御さんが大挙してくる可能性はゼロじゃない。

もちろんシリコンバレーや東京の一部のベンチャー企業のように数千万数億を調達できるのであればこんな”あの手この手”を使う必要はないのかもしれないが、そんな会社はごく一部なのが現実で、僕はその他多くの「厳しさ真っ只中」の中小ベンチャー企業が冬を乗り越えるための策として、今でこそ結果として「従業員に優しい」とまで言われるようになった柔軟な働き方を提唱したい。

そして、冬の時代を”あの手この手”で乗り越えられるチームや組織は、きっとそれ以上の工夫を重ねて良い商品・サービスを作るだろうし結果的に春を迎えられる。そして、春になってもまだイレギュラーな働き方をしている人が一緒に働き続けていてくれたら、そしたらいよいよフルタイムメンバーとして雇い入れるのも良いだろう。(もちろんそのままだって全然okと思うが!)

カンブリア宮殿を機に、このメッセージが多くの中小ベンチャー企業の経営者や幹部の方々に届くことを願うばかり。

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西村琢(Tak Nishimura)
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-ソウ・エクスペリエンス/Sow Experience代表
-体験ギフト/Experience Gift

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