良いなーパパは、オフィス行けて。

2017/09/13未分類


「良いなーパパは、オフィス行けて。」

このフレーズ、最近小学校に行きたくない病を発症している1年生の長男が僕に放ったフレーズである。
いや、君がオフィス来る時パパは結構ご機嫌に過ごしているかもしれないが、会社やっているとそれなりに大変なこともあるし、毎日東京まで通うのはそれなりに大変、、、、なんて言っても無駄なことに気づき、出てきた言葉は「(当然学校を休んだ上で)じゃぁ来週か再来週にまた一緒に行くか」だった。

だって、日頃から親は(夏の間は)半袖半パンで仕事に行き、オフィスに一緒に行ったら何とも楽しそうな雰囲気、仕事仲間も友達みたいでたまに一緒に遊ぶ。これらが常態化しているので、多分子どもの目には毎日遊んでいるようにしか見ていないか、または仕事はきっとむちゃくちゃ楽しいものなのだと捉えているのだろう。

が故の、冒頭のフレーズであろうと思う。

基本的な考えとして、僕は、子どもは常に自分たちよりも20〜30年ほど新しい環境を所与のものとして生まれ育った、ヘタなロボットなんかよりもよっぽど世界最先端の産物だと認識している。いつだって子どもが最先端であり、それに比べれば大人は常に古い人、もちろん36歳の僕も御多分に洩れず古い価値観にまみれた古い人であり、子どもが触れたいもの面白いと思うものは全て最先端の感性なのだから余計な口はできる限り挟まないしYesと言ってあげたい。そう、切に願っている。要するに、

「邪魔をしない」

子どもを応援したいと切に願うなら、これこそが唯一の根本的な方法ではなかろうか。

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少し話がそれるが、僕は親にひとつだけ不満を抱いていることがある。基本的には子どもの頃から何でも自由にやらせてくれたことをとても感謝しているのだが、ゲームや漫画など親の感覚で非道扱いされたものにあまり触れさせてくれなかったことだ。もし触れていたところで僕が著名クリエイターになっていた可能性はゼロに近いと思うが、ある種の可能性を狭められたことは間違いない。(今でも同世代との会話についていけないことは多々ある。全く気にしていないが^^)

こういう反面教師があるが故の「邪魔をしない」ポリシーなので、それこそマリオだって興味を示したので1200円課金したし(人生初のゲーム課金は多少緊張した)、Youtubeなども時間の制限は設けつつも許容している。(4年前に逗子葉山に引っ越して日常的に海など自然に触れていることも、この行動を後押ししてくれていることは間違いない)
これだけでなく、レゴランドに行きたいと言えば行くし、ジンベイザメが見たいと言ったのでこの間沖縄まで見に行ったし、今はマグロを釣ってみたいと言うので(まさか彼は船酔いの存在は知らないだろうが)近々葉山港から1時間くらいのキハダ釣りにチャレンジしようと思っている。もう、生活のベースがさんまと玉緒の夢叶えたろか状態。

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そんな長男が最近よく「学校に行きたくない」と口にする。
担任の先生のことは大好きで、友だちも仲良く、勉強も嫌いということはなさそう。けれどもどうも違和感を抱いているようで、先ほどの「邪魔をしない」ポリシーに沿って考えると看過できないなと感じている。
とは言え実際問題、今いきなり学校を辞めたところで日中の楽しい過ごし方の代替策がないので今すぐ辞めることはないだろうし、そうこうしているうちに辞めたいと言わなくなるかもしれないが、それはそれで順応してしまうことが幸か不幸か分からないなー、となかなか複雑な気持ちだというのが正直なところだ。

普通なら「学校行ってきちんと勉強して友だちも作らないといつか辛い思いするから行きなさい」とでも言うのだろうが、僕はどちらかと言うと読み書き算数さえできれば何とでもなるだろうと思っているし、その上で興味関心の赴くままに流れていけば楽しい人生になるだろうと思うし、それに冒頭のような「良いなーパパは、オフィス行けて。」という視線を向けられると、「いや、それでも君は学校に行った方が良いよ」と提案できるだけの論拠を全く持ち合わせていなことに気づかされる。つまり、なかなか悩ましい笑

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最近、『権力の終焉』という本を読んでいて、政治やビジネス、軍隊や宗教やアカデミズムなどあらゆる現場で権力がその力を失いつつあり、その原因は物質的豊かさ(More革命)、移動手段の進化・多様化(Mobiliy革命)、期待や願望の高まり(Mentality革命)の3つのM革命によるものだという主張がなされていたのだが、僕はこの本を読みながら、そういえば政治やビジネスだけでなく親の権力というのも終焉を迎えつつあるのではないかと感じていた。
親の権力というと少し言い過ぎで違和感があるかもしれないが、親が子どもに対してドヤ顔して何かを主張できる範囲というのは、これまでより格段に狭まっているように感じているのは僕だけだろうか。
少なくとも僕は、きちんとした格好をして毎日オフィスに行っているわけでもないし、子どもの興味に突き動かされてどこかに出かけることも多いし(結果的に楽しい思いをして僕が他者にドヤ顔することも珍しいことではない)、彼らから日々学ばされることばかりだ。

というか彼らに追いついて行くのがやっとで、必死で自由を追い求めているのだけれど、結果的には自由にやる親と学校というシステムの狭間で子どもは面食らい悶々としている、ということなのだろう。分かる、よく分かるよ息子よ。

別に自分のやり方を礼賛するつもりもないし、学校を批判しようとも全く思わない。むしろ学校というシステムは素晴らしいと思うし新しくなる学習指導要領なども結構期待している。
だが、世界最先端を突き進む子どもが何か違和感を感じて当惑しているというのも、これまた事実なのだ。

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何となく書き始めたこの文章、特に主張とか結論というものがないのだが、日々短パン半袖で過ごす人やオフィスに行かない人は増えているだろうし(そこのあなた!)、働くことへの価値観が変わりつつある中で、似たような状況に出くわす人や、近い思いを抱く人は少なくないのではないかと思い、まぁみんな似たようなこと考えてるから大丈夫だぜ!ということをお伝えしたく、つらつらと書いてみた次第。ではまた!

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西村琢(Tak Nishimura)
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