ネパール少年のチョコレートから飛躍する僕なりの論理。

2018/03/16未分類


つい数日前の朝、子ども二人と一緒に登校・登園していたら、近所に住む同じ小学校のネパール人の少年が僕の息子二人にチョコレートをくれた。
彼の両親(というよりお父さん)は駅前で、僕らもよく行くカレー屋さんを営んでいるのだが、小学5年生の彼はおばあちゃんとネパールで暮らしていて、昨年春頃に日本にやってきた。
お父さんは息子の誕生日会を開いて同級生やお店に通うお客さんを招いたりして、多分そういう色んな努力の結果としてネパール少年の日本語はかなり上達してきたものの、まだコミュニケーションがスムーズというには程遠い状況ではある。
という中でチョコレートのやり取りを見かけて、僕は切なさと尊敬と暖かさと、そういう色んな気持ちが入り混じった、でも決して嫌な気持ちではない感情を抱いた。

多分あのチョコレートは、彼なりの工夫の産物なんだと思う。咄嗟に言葉が出てこないという状況でも、チョコレートを差し出せば自分は悪いやつじゃないという証明になるし、相手に興味を抱かせることもできる。そうこうしているうちに言葉も時間差で出てくるかもしれない。
あの朝その場でどういう言葉が交わされたか、僕は自転車に乗っていたので詳しくは分からないが(僕の後ろに乗っていた次男も知らぬ間にチョコを受け取っていた笑)、結論から言うと多分彼の作戦はうまくいった。
元々顔を合わせたら言葉を交わしたり雪が降った日には雪合戦をしたりもしてたが、あの日以来、僕も息子たちも彼の名前を改めて認識し、家庭における会話でも彼の名前がよく出てくるようになったからだ。今日の帰りも出くわして、駅から一緒に二人で帰ってきた。僕は自転車で彼は歩きだったので、彼は始終走っていたが。

以前読んだ平田オリザさんの著書『わからないことから』の中で、海外でエレベーターに乗った時などに同乗者と軽く言葉を交わしたりアイコンタクトするのは、異なる人種や文化が入り混じる中で「自らは悪人ではない」ことを確認し合うための無意識下の合理的行動であるというようなことが書かれていたが、ネパール少年のチョコレートもきっと同じような意味を持つのだろう。

こういうことを考えていると、祖国を離れて生きる彼らは想像以上に大変な思いを日常的にしていて、まさにサバイバル的毎日を送っているのかもしれないと気づかされる。
最近僕はバスケットを始めスポーツ観戦やスポーツエンターテイメントに関心を抱いているのだが、それは国内外問わず片田舎の比較的普通のおじちゃんおばちゃんとかも、贔屓のチームの熱き試合(と冷えたビール)さえあれば幸せ、、、みたいな力がやっぱりスポーツにはやっぱりあるなぁ素晴らしいなぁと思う故なのだが、片田舎のおじちゃんおばちゃんだけでなく、移民や難民、もしくはシングルピアレントやLGBTとか、今はまだ社会的弱者という立場に置かれている人に希望を与えるようなこともできるよねスポーツは!素晴らしいな!

いや、スポーツが人々に希望や感動を与えるのは当たり前だし、だからこそW杯でありオリンピックでしょ、、、と言われてしまうとそれまでなのだが、
<「体で験(ため)す」のが、体験。
時が経ち体験した個人に内面化されると、それは経験。
私たちソウ・エクスペリエンスは体験の提供を通じて個人の経験の積み重ねをサポートし、
ひとりでも多くの、少しでも多くの幸せと希望を増やせるよう尽力します。>
をミッションに掲げる会社のメンバーとしては、チョコレート騒動を起点とした妄想を通じて五臓六腑に腹落ちしたので記念に記しておいた次第。

↓インスタは年始の大雪の際、偶然出くわして突発的に行われたミッドナイト雪合戦。

帰り道に出会った近所のネパール人の少年となぜか雪合戦が始まりそのまま長男次男も一緒にナイト⛄️

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西村琢(Tak Nishimura)
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