柳宗悦を思う #1

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デザイン史を学んでその名を知らぬものはない、といわれる人物は何人かいる。思想家・宗教哲学研究者にして民藝運動の創始者、柳宗悦もそのひとりだ。あるいはプロダクトデザイナー柳宗理の父、といったほうがわかりやすいかもしれない。この人物のことを取り上げようと考えたのは、ソウ・エクスペリエンスという会社が「エクスペリエンス」をキーワードに据えた事業を今後も行う上で、民藝運動に学ぶべきことが非常に大きいように思われるからだ。

柳宗悦は海軍少将の三男として生まれ、幼少の頃から美術や骨董に親しんだ。学習院時代には武者小路実篤、志賀直哉らと出会い、雑誌『白樺』創刊に関わった。その後、彼の美的関心は、同時代のアート、詩、宗教哲学、さまざまな分野に及んだ。そのひとつが、朝鮮半島の工芸品であった。柳は朝鮮王朝時代につくられた日用品の素朴な美しさに大いに魅せられ、それらを蒐集した。この事実を見るに、ちょうど室町時代の茶人たちが同じく李朝の日用品に「侘び・寂び」を見出したのと重なる。だが、柳らしいと言えるのは、蒐集したものを日本に持ち帰ってしまうのではなく、現在のソウル市内に民族美術館を設置してあくまで現地で展示したことだ。時は1910年代、韓国併合の時代である。政府の強行的な現地政策によって朝鮮固有の文化が失われてしまうことを大いに危惧し、彼なりの行動に移したのだ。この美術館は今でも残っている。

このことに象徴されるように、柳にとって蒐集の目的とは最初から、価値あるものを所有するところにはなかった。そうではなく、先入観を排し、直観を働かせ、自由で素朴な美の有り様を見出し、無名の作者への共感と敬意を味わい、またそれらの価値を人々と共有するところにあった。その思想は同志をよび、「民藝運動」へと昇華する(柳は自らの美的関心の対象を表す言葉としてはじめ「下手物(げてもの)」を使っていたが、やがて「民藝」という造語に改めた)。彼らの長年に渡る蒐集品の展示場所として、また全国に広まる民藝運動の拠点として、1931年、日本民藝館の創立に至る。

幸いにも柳は民藝の考え方、ものの観方についてかなりの分量の文章を遺している。私たちがそのまなざしを識るための資料は豊富にある。だが、まずは日本民藝館に足を運んでみて欲しい。美術館というのはおもしろいもので、それ自体が「選者が美しいと見做した」というひとつのシンプルな記号をもつフレームである。20世紀の芸術はこのフレームを使い倒すことでしばしば人々の常識を外してみせることに成功し、発展した。民藝館の機能もそれと同じであるが、常識を外してみせる方向が異なる。無名の作家、作品ならざる作品、まじめさ、無欲さ、それらのものがもつ親しみやすさ、可愛らしさ。美に対して私たちが勝手につくりだしている定義を外してくれ、直観と敬意の世界に引き戻してくれる。

私たちは「GOOD EXPERIENCE, GOOD LIFE」と謳っている。GOOD EXPERIENCEに定義はない。しかし、GOOD EXPERIENCEが集まっている場所でなくてはいけない。その矛盾に立ち向かうために必要な「直観」は、先人のまなざしの跡を観察することで養われると思うのだ。


参考文献

柳宗悦『蒐集物語』柳宗理 解説 中公文庫
柳宗悦『茶と美』 戸田勝久 編・解説 講談社
柳宗悦『南無阿弥陀仏 付心偈』今井雅晴 解説 岩波文庫